踊るたぬきのサンバ・ノ・ぺ

踊らされて生きているたぬきのお話

読書感想文「感染症と文明」

過去の感染症疫学のランドマーク的なエピソードから始まる(フェロー諸島の麻疹流行など)点が歴史的で、ジャレッド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」を彷彿とさせるようにも感じたが、この本はやはり人類史の切り口として感染症を用いているのではなく、タイトルには「文明」よりも先に「感染症」という単語が来ている通り、感染症学概論の著書なのだと思う。ジャレッド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」が人類史の切り口だったのだとすれば、感染症の性質を、人類の文明との関わりの中で説明していた本、というか、むしろ文明や人類の営みを切り口として感染症というものを説明しているというか…。

いや、それも違うか。文明は感染症のゆりかご、という本の中の言葉通り、ヒトに流行を起こす感染症というものは、社会の営みありきで繁栄し、その性質が描き出されるものなので、どちらが切り口、というわけでもなく、病原体の性質のせいで、人間社会の在り方が変わった部分、人間社会の在り方によって、病原体の伝播や繁栄そして根絶や消滅といった振る舞いに影響を与えた部分、その両方が対等なものとして解説されている。

感染症は人間の歴史の脇役などではなくて、感染症に翻弄されたり、感染症が歴史を変えたことに人間が気が付かないこともきっとあっただろう。

quorum sensingの話、粘菌の話を聴くに私は微生物というのは、人間の及ばない知性を集団として持っているんじゃないかと思うことがある。もしくは微生物達自身にその知性はなくとも、創造主のようなシステムを司る高次元の存在が何かの微調整のために使っている高度な機械のようなものだったりするんじゃないかとか。そうだとするとワクチン、抗ウイルス薬、抗生物質といった人間側の抵抗も何となく創造主の想定のうちだったりして…その気になったらこのマイクロマシンに私たちは絶滅させられるのでは?なんて空恐ろしくもなってみたり。

 

近年、多種多様な抗ウイルス薬や抗生物質が開発されて来ているので、公衆衛生学や疫学のフォーカスも遺伝学や精神疾患等に移りつつある気がする。

 

けれども絶えず新しい感染症が現れてくる人間社会において、感染症疫学というのは、いつでも古くて新しく面白いトピックだと思うし、私は感染症疫学が大好きだ。