踊るたぬきのサンバ・ノ・ぺ

踊らされて生きているたぬきのお話

ジェンダーレスとリアルワールドエビデンスな話

最近、身体の性別で区別をすることを差別だ、偏見だ、とする見方が何かと話題になりがち。たぬきもメスとしては、心が女性の男性に女子トイレに入って来られたり、女湯に入って来られたりしたら理解を示さないといけないのかもしれないな、とは思いつつもギョッとしてしまう自信はある。別に友達にゲイセクシャルはいるし、知り合いにトランスジェンダーもいるし、人として一対一で付き合う分に嫌な感情はないけど。

 

まぁ、それは置いておいて。

 

これからたぬきが話す治験の話は生半可な知識でいい加減なことばかりなので、ざっくりそんなイメージで、くらいに思っていただけるとありがたい。くれぐれも一から十まで信じないように。そして、ジェンダーについても無知極まりないし、あまり正確に理解しているとも言えない。

 

治験において、第I相試験(Phase I Trial, いわゆるFirst-in-Human試験といわれ初めて治験薬がヒトに投与される試験)では試験対象集団は普通「健康な成人男性」とされる。最初は患者さんではなく健康な人に、そして男性に、と言うわけだ。で、何で男性だけ?って思う人もいるかもしれない。身体の大きさも違うし、アルコールなんかの話と同じでどうも女性よりも男性の方が薬を分解して排泄する能力が高いらしい。なので、より耐えられそうな方の性別に投与するのだろう。安全性の問題で男性のみに絞られるのだ(ちなみに抗がん剤は健康な人に投与したら猛毒でしかないので第I相試験から患者様にご協力いただきますが、抗がん剤の第I相試験は特殊な上に、試験デザインもかなり数学的に組み立てられているのでたぬきのお頭では知っていても正確に説明できません、あしからず)。

 

こういう時に、「身体の性別は女だけど、私は心は男だからこの健康な成人男性を対象とした第I相試験に参加する資格がある!」と主張するトランスジェンダーの人っているのだろうか?私はあんまり聞いたことがない。

大抵の人は、「あなたを差別する気もないし、あなたが自分を男性だと思うのなら立派な男性だけれども、それとこれとは別問題で、第I相試験に身体の性別が女性のあなたを入れるわけにはいかない」と答えると思う。

というか、安全性に差し障るから女性入れられないってさっきも言ったでしょ、ダメって言ったらダメなのよ。まさか選択除外基準に性染色体にXYを有する男性、とまで書けないし…。

と、ここまで考えて、いや、そういう人を入れるのもアリなのでは?と思えてきた。第I相試験を男性だけに限る意味ってそこまであるかな…。女性の方が薬を分解して排泄する機能が弱い話は上に書いた通りなので、多分男性と女性では薬物動態がきっと異なる。ということは男性だけで試験した過去の同種同効薬の薬物動態なんかと比較できなくなる可能性はあるけれども…。

治験というのは人間社会の中に見えない大きな試験管を作るようなもの。第I相試験だったら健康な成人男性だけ、とか試験管の中の狭い世界で薬の有効性と安全性をテストする。第II相試験では男女問わず少数の患者さんに投与して、副作用と効果のバランスが一番良い(副作用が少なくて効果が高い)用量を決定する。第III相では既存の実薬を対照として治験薬の効果と安全性を既存の薬と比べる、と言うふうに、各試験の相ごとに目的が違う。

そして治験に参加できる被験者さんは、選択除外基準で、18歳以上75歳以下の男性だとか男性または女性だとか、抗がん剤の試験以外の場合は、5年以内に基底細胞癌以外の悪性新生物(要は癌だな)と診断されていないこと、とか、コントロール不良の糖尿病や高血圧を有していないことだとか、条件をたくさんつけられる。試験管の中に入れるヒトをどんどん絞っていくのだ。

当然狭い試験管の中で得られた結果にはノイズが入りにくいので、単純にその薬のヒトに対する有効性と安全性を判断しやすい。が、その一方で、世の中の患者さんは、実際には糖尿病やら高血圧とその治験薬の適応症を合併している人もいれば、治験の対象集団よりご高齢でその薬を使いたい人もいる…。治験で得られた結果と同じ結果が実際の世界(リアルワールド)で再現されるとは限らないのだ。

 

当然、第I相試験に女性を入れなければ、女性の薬物動態はわからない。トランスジェンダーの人が治験のどの相にも入らなければトランスジェンダーの人における薬物動態も有効性も安全性もわからないのだ。でも、実際の世の中で薬を使う人の中にはトランスジェンダーの人だって一定数いるだろう。

 

だから第I相試験も多少用量は変えるとしても、男性、女性、トランスジェンダー(身体の性別は男)、トランスジェンダー(身体の性別は女)とかいくつかの集団に分けて、男性以外の性別も入れてみたら?と思う。

性別転換手術はしていても、ホルモン投与をしていないこと、とか多少の縛りを入れないと、ジェンダー自認よりもホルモンの影響が実際には薬物動態を決定づけてしまうかもしれないけど、例えばホルモン投与はしていない身体の性別は女性で性自認は男性なトランスジェンダーの人の薬物動態が、身体の性別も性自認も女性なシス女性よりも、身体の性別も男性で性自認も男性なシス男性の薬物動態に近い(その逆の身体の性別および性自認についても同じことが言えると思う)、となったらトランスジェンダーの患者に投与する際は、身体の性別だけで判断してはいけないというリアルワールドエビデンスが一つ得られるような気がする。

 

治験はなるべく純粋な薬の効果を見たいからこそ試験対象集団を厳しく絞るのだが、結果の一般化可能性には劣るからこそ第IV相試験や製造販売後調査なんかをしているんだと思うけれども、まぁ、性別(社会的なものも含めてね)くらいならまだカテゴリ分けできそう(グラデーションとはいうけど)だから製造販売承認取得まで待たなくても治験の早い相から対象となる性別を増やしてもいいような気はする。

 

そんなもしかすると盛大にトンチンカンかもしれないし、そんなこともうすでにやられてるかもしれない話。たぬきの戯言。

 

でも不思議なんだよな。「私身体は男だけど、心は女だから、女がアクセスできる空間にアクセスしたい、参画したい」

という声はあっても「私身体は女だけど心は男だから、男が(以下略)」という声はあんまり聞かない気がする。

女の特権なんて幻想でしかない。トランスジェンダーであるからという理由だけでそれを享受したいと主張するのは少し馬鹿げているように思う。

それぞれの性別に苦労はある。

だからこそお互いの性別には理解しようとする柔軟さと尊重が必要なのかな、と思う。