踊るたぬきのサンバ・ノ・ぺ

踊らされて生きているたぬきのお話

練習と本番の境目

今日は有休。

 

これは踊りだけでなく、仕事でも当たり前にそう(OJTと実業務とか)だと思っているのだけれど。

練習でできたことが須くできなくなるのが本番で、練習でできなかったことももれなくできないのが本番だという…

 

板の上って不思議で、例えばストリートパフォーマンスだとお客さんと演者の間に板はないし、段差もないのにパフォーマーがパフォーマンスを始めるとパフォーマーの動くエリアは板の上と同じになる。

ちゃんとした舞台だって、客席との違いは、舞台の方が少し高くなってて、舞台だけ何の変哲もない木の板(もしくは箱)になっていると言うだけのことだ。

それなのにその「板の上」という場所に立つだけで、同じ時間にありながら異次元空間というか違う世界線に立たされてしまうのが演者だな、と思う。私には間違いなくその空間だけは異質だと言い切れる。パフォーマンスが始まる前でも、客席エリアとの境界を引いただけで舞台には何かが起きる。

 

バーニングマンという祭りでは乱数発生器に著しい偏りが生じるというけれど、張り詰めた緊張感のある舞台(またはパフォーマンスエリア)でも、私は絶対乱数発生器に偏りが生じると信じている(試す機会があったら面白いのだが、そこまで緊張感のある舞台に観客であれ演者であれいることも稀だし、そこで乱数を発生させるような機会も稀有だしその両方が揃う機会なんて普通に考えたらありえないだろうが)。

私は人格的な神様は一切信じない。

けれどもこういう現象が起こる場所を人間は言う、「神が宿る」と。

あながち間違っていないんじゃないかと思う。

 

こんなド下手なアマチュアですらこんな異質な空間の緊張に中てられるのだから、プロの感じる板の上の緊張ってどれほどのものなのだろう。

 

余計な話をしたけれど、練習で散々やったことを昨日のドレスリハーサルのようなところでやってみて、失敗することは私の中ではよくある。そして毎回凹んで帰ってくるのだが、私は今絶賛舞台の神様と勝負をしていると思うことにしている。じゃないと余計凹むから。私より練習をしている人も山ほどいるだろうし、若手で私より才能のない子なんていない。振り覚えの悪さ、身体の使い方の入りの悪さ、どれ一つとっても悲しくなるレベルなのだけれど、私は私で、使える限りの時間を費やして練習をしていると言い切れると思う。

 

試されているのよ。

 

今まで下手すぎた時は、がんばればがんばった分だけ伸びた(ような気がしていた)。でもここまで下手だと舞台の神様も相手にはしなかったのだろう。何とか、今以上になろうとして足掻いている私を見て、生意気だ、と舞台の神様は私を潰しに来ているのだと思う。必死でがんばった練習が水泡に帰し、恥をかいて嫌な思いをさせて追い出そうとしているのかもしれない。私ができることは一つだけ。

 

確固たる自信を持って、舞台の上でも舞台の神様とやらに、乱数発生器を乱させないこと。

 

そのために練習をする。練習と本番は全く別の世界だけれども、その境目をつなぐのが自分。舞台という異世界に揺さぶられても乱れないように確実に練習するしかない。

 

さぁ、続きをやろう。