踊るたぬきのサンバ・ノ・ぺ

踊らされて生きているたぬきのお話

離れていかないで

自分の心に余裕がない時は、別に壊す必要もなかった人間関係を壊してしまう気がします。落ち込んだら立ち直れない気がして、傷つきたくないあまり、人の些細な言動を悪く取って被害妄想的に責めたり、あるいは、行くつもりでしていた約束、やるつもりでやると言ったこと、いろんなことが疲れてできなくて、無責任だと責められたり。そんな折に「ちょっと最近仕事がキツくてうつがひどくて」と言っても、「そんなに嫌な仕事ならやめればいいじゃん」とか言われて理解されないことに、悲しくなって、余計に相手を責めちゃったり。

 

今思い返すと、相手にしてみたら迷惑千万なのは間違いないけれど、その時よりまともな行動が取れたかといえば取れないと思うし、その時は毎日生きるか死ぬか、しか考えてなかったような気がします。

そして、自分のことばっかり考えている自分にもうんざりしたけど、それでも「自分」の感じる辛さが、意識や注意を「自分」に縛り付けてくることの辛さ。ありとあらゆる辛さに耐えているだけだったような。あのままだったら、自殺しなくても毎日少しずつ何かを消耗して死んでいたような気がする。あの後、元々幼く見えた私の見た目が一気に年齢相応に老けていきました。

 

でも私はその後、いわゆる「底つき」という体験をします。それは、ある日突然訪れたのではなく、何日もかけて苦しみながら受け入れたどん底。特別な何かや誰かと出会ったとか宗教や本が救ってくれたとか、そんなオセロを一気にひっくり返すような都合のいい話はありません。そして、その話はまた別の話なのでいつかこのブログで書ければな、と思います。

 

話を元に戻すと、その時失った人間関係は、落ち着いた今なら失うことはなかっただろうし、その時も失う必要はなかっただろうなと思うものです。あの時もう少し相手を信じられていたら。もう少しがんばって笑えたら。もう少しだけしんどさに耐えられたら。だけどその時精一杯生きていてもどうにもできなかった人間関係は、私が手に入れるべきではなかった人間関係なのでは?とも思います。

取り戻したいとも思わないけれども。

 

だってその人達は1番最低な時の私を受け入れられないんだし、私にはそういう最低な時もあるし、そういう時に支えてくれる人こそ、生きていく上では必要だし。

 

私は自分の価値を見失いそうになると、マリリン・モンローのこの言葉を思い出します。本当にその通りだと思うから。

 

I’m selfish, impatient and a little insecure. I make mistakes, I am out of control and at times hard to handle. But if you can’t handle me at my worst, then you sure as hell don’t deserve me at my best. - Marilyn Monroe

 

私は自己中心的で、気短で、ちょっと情緒不安定。間違えることもあるし、始末に負えない人間で時々扱い難いこともある。でも、最悪な時の私を扱えないのなら、あなたは私の最高な瞬間に、相応しくない。